親の心、子知らず。子の心、親知らず
多分どちらも真理なのでしょう
朝ふと思う
10/1 土曜日の朝
こちらに来て初めて、朝イチで予定の入っていない日。
9:00に一度目が覚め、ウトウト。ベッドから出たのは10:10
娘はまだ爆睡。
思えば、
運転免許証の取得(渡米10日前)
日本国内での引っ越しから、実家での数日間の仮住まい。
連日の送別会。
友達とのしばしのお別れ。
シアトルへの引っ越し。フライト12時間。
初めての路上運転。左ハンドル右側通行。
居住エリアの下見。領事館への訪問。
不動産コーディネーターとのアパートメント見学。
その合間に、
生活に必要なスーパーマーケットや日用品のショップを、知らない道を迷いながら探して回る。
日本語は一言たりとも話せない。
めちゃめちゃ疲れていると思う。
アメリカ人を見て思う
みんな本当に明るくて優しい。
不必要に話しかけるわけではなく、ハイ!とかナチュラルに言葉を交わす感じ。
男性は徹底的に女性に優しい。レディーファーストが身についている。
これはどんな身なりの人も年齢の人も同様。
横を通り過ぎるときでさえも、Sorryなどとひと声かけて気遣う。
これについては今朝、こんな記事があったので貼っておく。全く共感できる。
日本人は「謝らない…?」海外とくらべて分かったニッポンの不思議
大切に扱われると嬉しいし、自分というアイデンティティを思い出すことができる。
自分がどんな人間であれ、まずは人として尊重されていると感じる。
日本ではこのフワフワとした温かさを感じる事がない。
義務感や「やらなければいけない事」で毎日を疲弊して、厳しさや制約ばかり強くなる。
そうやって多くの人が自分に自信を持てず生きてきた結果、自己肯定感が低くなるのではないか。
遥か海の向こうにやってきて、たった1週間やそこらで、自分の半世紀について考えたりするなんて。
あれほど本を読んだり偉い人の話を聞いたりしても実感できなかったことを、
こんなたった1週間で気付くなんて。
街を眺めながら思う
私は今回、引っ越し手伝いという名目なので、あえて観光はせず。
そもそも、RedmondなりBellevueは車がないと観光地には遠くて不向きという、居住者のための(しかも高所得者のための)街らしい。
Microsoftの本社があるため、膨大な数ののMicrosoftオフィスがあり、Amazon本社があり、
そういったGAFAMの社員さんたちの住むエリア。
この地域に住むアメリカ人いわく、
「地下鉄は低所得者の移動手段なので利用しないほうがよい」とのこと。
ストレートですね。日本とは比べ物にならない格差社会を感じます。
着いてすぐそんなアドバイスを聞いて、最初は「なんかイヤな言い方だな」と思ったけれど、
数日したらそれは別に悪気も何もない当たり前の注意事項のひとつなんだと理解する。
娘の安全について考えてくれている、ただそれだけなのだ。
各自が自分たちのいるべき場所(コミュニティ)を認識していて、自分の身を守る行動を分かっている。
ベルビューを出てシアトルのダウンタウンに向かっていると、
路肩に「助けてくれ」とか「仕事をください」みたいなカードを持って立っている人を見る。
日本で見たことはない。
感情と向き合う
何をしていてもふと襲ってくる物寂しさ。
自分の身体の半分が消えてなくなっていくような喪失感。
あぁ本当に、今回は手の届かないところに行ってしまうんだな、と。
忙しく動き回っている合間にも何度も寂しさに囚われる。
今しか会えないのに、この時間は二度と共有できないのに、なぜ表向きはこんなに普通でなんでもないように見せるのか。
自分の感情に素直に正直に生きたらいいのに。
親だから弱音を吐いてはダメだと思っている? 格好悪いとか?
この身を切られるような喪失感は私だけのものか。
私はいい親ではなかった。
一生懸命だったのだけれど、結局娘には厳しいばかりで理解が足りなかった。
もっとペースを落として、もっと私自身がシンプルになって、娘と向き合えたらよかった。
本人は目の前のことに忙しく、日本に残る家族のことなど振り返る暇もないだろう。
無口で小柄で感情表現の薄い娘は、この地でどんなアジア人に見えるだろう。
上手く仲間に溶け込めますように。
多くの人に愛され大切にされて、また多くの人を大切にして、
娘の今後の人生が温かく厚みのあるものになりますように。
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