ママ友から親友へとつながる人

ライフ

子供を産んだ後はたくさんの人との出会いと別れを経験しました。
その中で真の友達となったのは。。。

子育てが終わった後で、いつの間にか自分の人生にかかわり続けてきた人がいることに気付く。
嵐のような日々をくぐりぬけ、ともに泣き・笑いした思い出があります。

赤ちゃんとの接し方が分からない

うちの実家は遠く離れている。
なので、子供たちが赤ちゃん時代にも自分の母や義母の手助けを求めることはなかった。

それどころか私は2人の子供を、里帰りもせず故郷の親にわざわざ来てもらって、自分の住む地域で出産した。
それぐらい「今の生活スタイルを維持しなければいけない」観念に囚われていたのだと思う。

夫に気を使いすぎだと、当時いろいろな人から言われた。

20数年経って、男女がとてもフラットな関係になり、女性が男性と変わらず社会的地位を望める世の中になってきた今、そんな話はもう理解さえしてもらえなさそう。

それぐらい自分は若く無知で「自分」を持っていなかった。

でも、仕事以外のほぼすべての事をひとりで考えてやっていき続けるのは困難で。

家の中で赤ちゃんと二人でいる事ができない。
どうしていいか分からない。

おむつを替えたり離乳食を与えたり、お世話は出来るのだけれど、どう遊べばいいかは分からない。

今のように、抱っこしたままスマホを見ていたりして時間が過ぎることはなかった。

そうして自分は朝の家事を急いで済ませて公園へ出かける母親になった。

第1子が生後3ヵ月ぐらいのこと。

知り合いだけは多くなった

午前中から毎日公園にいると、すぐに同じような一生懸命な母たちと友達になった。

孤独で不安だからみんな集まって来る。

公園で何時間も遊んだ後、そのまま誰かの家に移動して話す。

いつまでも話が尽きなくて、気付けば夜7時とかザラにあった。

でも、どこの家庭も夫は働き盛りなのか帰りが遅かったので、帰ってご飯を作る時間もあった。

外で満足するから子供は帰宅すると早めにしっかり眠る。

月曜から金曜までそのサイクルで生活しているうち、友達の友達が友達を呼び?知り合いがどんどん増えていった。
友達が増えると、誕生日だの地域の子どもイベントだのでさらに外出が増える。

第2子が幼稚園にあがるまでそんな生活が続いた。

もう子供と二人で家にいる事などほぼなかった。助かった。

みんな子供が遊ぶためと言うより、自分が助けが必要だったから公園に来ていたと思う。

子どもが幼稚園に通うようになると

昼間に空き時間ができるようになると、下の子がいないママ友の多くは働き始めた。

私は下の子がまだゼロ歳のうちに、近所の友達を集めてゴスペルを歌うグループを作っていた。

メンバーは12.3人だったか、それぞれが赤ちゃんを連れて。

最初は自宅で小声で歌っていたのが、子どもたちとの騒ぎと相まって限界に💦

地域の市民センターや公民館を利用して、毎週曜日と時間を固定してサークルとしてやるようになった。

大きなイベントにも出るようになると、地元では「珍しい子ども連れゴスペル隊」としてそこそこ知名度も出て、一時期はメンバー30人ぐらいになったりした。

そのサークルは子どもたちが成長して大学生になる頃まで続けた。約17年。

まさに家族以上に密接に同じ時間を過ごした仲間たちとの濃い17年。

歌の練習にもストイックだったが、それぞれが家庭で起きた問題や、親の病気の事、その他いろいろな思いを持ち寄って、さらけ出して話すこともよくあった。

私たちの「居場所」となっていた。

しかし、それもコロナの流行で練習場所が借りられなくなり、活動休止となった。

子どもと親と習い事

下の娘が幼稚園にあがると、私は娘の習い事に付きっ切りになりはじめた。

自分と違い、小さな才能がぐんぐん伸びていく様を見るのは本当に幸せだった。

その取り組み方たるや、なかなかに異常で、
平日は小学校まで迎えに行きそのまま一緒に電車に乗って習い事へ向かう。

娘が習い事をしている間、私はランドセル?を持ったまま待って、終わったら電車で帰る。
帰りつく頃は夜10時過ぎ。。。

それを平日月~金まで続け、土日は夫の車で早い時間から習い事へ向かう。

何年も同じことを続けている間に、2回ぐらい?娘が「やめようかな」と泣き言を言った。

こんなにがんばって続けているのに(こんなに色んな事を犠牲にして続けているのに)

今やめたらすべての努力がムダになる!と説得した。

娘がやめずに続けたことは今も正しかったと思う。

でも、私がそうまでしてやらせたかったのはなぜなのか。。。

すべて中途半端でなににもならなかった自分への情けなさをかき消したかったのでは。

もし娘が「親のエゴに付き合わされた」と感じているなら残念だし、申し訳ない。

ママ友はいつの間にか自然消滅

公園時代、サークル運営時代、その後は高校のPTA役員や部活の会長などを経験し、いつの時代もたくさんの人に囲まれていた。

でも、公園時代のママ友は公園を卒業すれば会わなくなっていった。

自分を含めほぼ全てのママ友が社会復帰して仕事に戻っていった。

子どもという手段がなくなるとママ同志は繋がりを保ちづらい。

学校の役員時代も毎日のように集まり密な時間を過ごしたが、卒業したら自然と疎遠に。

自分自身がムリしてまで付き合わないスタンスでいるのでそうなるのも当然だ。

用事がないと連絡もしない。マメさはゼロである。

派遣で働くようになって、偶然にも派遣先の会社が2度一緒になった人がいる。

その人とは付かず離れずで、今もよく会う。

子どもという手段もなく趣味などの共通項もないが、40歳を過ぎてできた新しい友達だ。

後になって気づく親友とは

第2子妊娠中から今現在まで繋がっている友達がいることに気付いた。

あらためて考えると23年間だ。ちょうど下の娘の人生分の長さ。

公園で一緒に遊び、サークルでともに歌い続け、その後も定期的に会っている。

子どもは小学校から別々の学校に行き、その後に私は隣の市に引っ越したので、接点はサークル活動までだったことになる。

他のサークルメンバーはもう連絡が途絶えている。それぞれの生活を送っている。はず。

その中で彼女だけが、連絡をくれ、忙しい中で有休まで取って会いに来てくれたりする。

一緒に過ごしている時「私たちって仲良し~」とベタベタ付き合う事などいっさいなかった。

気が付けばこんなにも長く、いつ会ってもお互い自然体でいる事に、この年になって気付いた。

23年だから、お互いの家庭の状況やあの頃こうだった、子どもはこうだった、みたいな事をすべて知っている。

何も説明しなくても「あれね!」とドンドン話が進む。

知りすぎて新鮮さなんて何もないのに、会ったら暗くなるまで6時間でも7時間でも話し続ける。

泣いたり、笑ったりして、延々と話す。

その友達は多忙で、私から見れば働きすぎだ。
彼女が半年に一度くらい有休を取る。彼女にしたら貴重なお休み。

なのに、その休みの日にわざわざ会いたいと言ってやってきてくれる。

最近までそのありがたさにも気づかなかった。

本当に大切にするべきものに50代にしてやっと気付いている。自分はまだまだだ。

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